2012/09/20 菜食主義ということ |
世間的に「菜食主義」というと「健康に人一倍気を遣っている」というイメージでしょうか。
その理由が「動物(畜産動物)の命を救いたい」となるとカルト的思想の持ち主と思われることが多いのではないかと思います。実際宗教の思想にもありますし。
欧米諸国では既に一般的な考えとして受け入れられているいるようですが、日本ではまだまだ理解がされていないようにも思います。
まあ、一時期取りざたされたシーなんたらという動物保護団体のことなどもありますが、そういうところから認識されにくいのではないでしょうか。
そこで改めて「菜食主義」について書いていきたいと思います。
興味の無い方はスルーしていただいて構いません。
前回紹介した本の他にもう1冊参考にした本があります。
この本でも、何故菜食にすべきかということを書いていますが、その例を過去の人種などの差別問題を用いて説明しています。
それも含めて、何点か抜粋します。
「何百年前の黒人奴隷はたしかに今の動物たちと同じ状況にいます。社会から除外され、家具か機械のような扱いをされ、しかもそれを正当化するため姑息な言い訳でごまかされていました。あの過去と、あの過去がどうなったのかの未来を見てみてください。わたしたちがこれからどこへ行くべきか、あなたにも見えるはずです。」
「もしもわたしたちの道徳が、他の生き物を犠牲にするものなら、人間の利益だけを考えて自然を守ろうとしたら、どうなると思いますか?経済や人間の利益のためだけの自然保護や動物保護をして、本当に自然を守れると思いますか?」
「すべての生き物のとっての唯一の害獣は人間です。多種を圧迫して今日も絶滅させつづけ、森を焼き、海を腐らせ、空を汚します。原子力や核兵器を作り、動物だけでは足らずに戦争と言う共食いを好みます。人間に動物たちを害獣と呼ぶ資格はありません。」
そして、前回紹介した「動物の命は人間より軽いのか」にもあった例えの共通点として、「人間が地球外生命体など何らかの知的生命体によって侵略され、今の畜産動物たちのような扱いをされても平気ですか?私たちは行っていることはそういう行為なんです」ということと、もうひとつ食糧確保の面での事実がありました。
「死体の晩餐」では
「肉食がなくなり、その穀物で人を養えば、肉が養うより10倍の命が救われます。」
「動物の命~」では
「たとえば、一人の平均的な肉食をする人を1年間養うには、8~9頭の牛が必要です。それぞれの牛は、1年に1エーカー(1224坪)の青草、とうもろこし、または大豆を必要とします。こうして一人の人が食べる肉のために、1年におよそ9エーカー分の植物が必要となりますが、もし肉を食べないなら、これは二分の一エーカーで済みます。一人の人に肉を供給するために動物に食べさせなければならない穀物の量は、約20人の人が1年間十分に食べていくのに使うことができる量なのです。
これで計算すると、アメリカでは肉の消費を1割減らすだけで人間が消費できる穀物量が1200万トン増え、毎年飢えで死んでいく全ての人を救えないにしても、6千万人の人を養うことができます。」
と、記されています。
今ではより踏み込んで環境破壊の面でも言及しているようです。
今の「肉食文化」を変えることはかなり難しいとは思います。
言うなれば「人間優位世界」で、肉魚が当然の食料として成立している世界で生まれ育ってきてしまっていますから。
しかし元来、人間は雑食動物です。
要するに、肉を食べなくても生きていけるということです。
「でも原始時代から肉は食べられていたじゃないか」と思う方もいると思います。
確かにそうです。
しかしそれは、食べるものの選択肢がなく、そこで狩りをしなければ自分たちの命に関わるから食べていたのではないでしょうか。
やがて人間は農耕技術を身につけます。
狩りをしなくても食料を確保するすべを覚えたのです。
今ではどこの国でも穀物は作られていて、気候に関係なく作ることもでき、それが流通できる状態です。
野菜や穀物だけでも十分な栄養は摂る事ができます。
もっと突き詰めると、野菜・穀物だけでも生きていけます。
それはお坊さんたちが昔から証明しています。
そしてもちろん健康にもいいことは言うまでもありません。
欧米の食文化(肉食メイン)が浸透したことで大腸癌が増えたということを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
その欧米で、「動物の権利を守るための菜食主義」が認められてきています。
日本でもそろそろ考え直しても良いのではないかと思います。
菜食主義ということで話を進めてきましたが、ちょっとだけ他のことにも触れたいと思います。
動物実験についてです。
例えば、1本の口紅を作り上げるのに何千という動物が実験と称して犠牲になっています。
彼らには私たちのように同意を得ることができません。
言わば何も言えないから使っているのです。
動物と人間は生態や中の機能が違います。
分かりやすい例として、人間では盲腸がほぼ使われていませんが、草食動物では重要な臓器として働いています。
そのような違いがあるのに実験データをそのまま転用していいのでしょうか。
専門家の中には意味がないという見解も多いようです。
そのような意味の無いことに動物の命を犠牲にしてもいいのでしょうか。
菜食主義(ベジタリアン)にも色々タイプがあります。
完全に動物性のものは摂らない、皮革や絹、動物実験を経て作られた製品などを拒否する完全菜食主義(ヴィーガン)。
乳製品と卵は摂るラクト・オボ・ベジタリアン等々細かく分類されています。
興味のある方はウィキペディアをご覧ください。
この分類を見て「自分でもできる」と思っていただければ幸いです。
ちなみに私は、ラクト・オボ・ベジタリアンを目指していますが、諸々の事情により今はセミ・ベジタリアン(世間一般的の人より少ない肉を食べる)に甘んじています。
そもそも「動物たちを救いたい」と思い動物看護師になったのに、見えない所では消費者として動物の殺戮に手を貸し、見てみないふりをしていたんです。
自分の周りの、患者として来る動物だけを救えばいいのではない、そう気が付きました。
始まりは「犬猫の殺処分をなくしたい」との思いで始めましたが、つまりはこういうことなんです。
「すべての不幸な動物をなくしたい」
私一人でできる問題ではありません。
私一人が行動した所で何が変わるわけでもありません。
それでも動かないときっかけを作ることもできません。
思い込んだら一直線な性格なものでやらないと気が済まないんです。
その思いだけで震災直後の石巻にもボランティアで行ったこともありました。
その時も「自分一人の力で何ができる?大したことできるわけがない」とちょっと悩みましたが「困っている人や動物を助けたい、とにかく何かがしたい」一心が勝り5日間ほど動物保護施設で活動してきました。
ということで始めています菜食主義。
いつか必ず動物たちが人間の利益のために殺されることが無くなる日が来ることを信じて。
一瞬でも構いません、動物が好きなのでしたら、自分の周りにいる動物だけでなく、全ての動物たちが幸せに、痛みや苦しみ、悲しみの無い世界で生きられるように考えてみてはいただけないでしょうか。
最後に前回の紹介書に書いてあったスローガンをいくつか載せます。
・あなたがしてほしいように他の動物たちに接しましょう。つぎのことを想像してみてください。檻に入れられ、罠にかけられ、抑制され、隔離され、手足を切り取られ、ショックを与えられ、飢えさせられ、社会生活を奪われ、さかさまに吊るされ死を待つ、または他のものたちが殺されるのを見ていなければならないとは、いったいどんなものなのか。生物学的な資料によれば、多くの動物たちが身体的、心理的に苦しみ、また、痛みを感じることは明らかなのです。
・動物が損害を受ける時には、私たちすべてが損害を受けます。その損失のすべては、私たちや、私たちが動物たちとともに住んでいる、このすばらしい世界を傷つけるのです。
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突っ込みどころ満載で思わず笑いました。読むのに疲れた方はどうぞ。
最後まで読んでいただいたみなさま、本当にありがとうございます。
ようやく書き終えてひと段落終えたものの「次はどうしよう?」という考えを持つことを脳が拒否、夢の世界へ現実逃避しようと試みるも忙しない日常に流されて休みの日は何も考えずぐうたらしているカズオの相方